在シドニーのナチュロパス、前田アンヌのブログ です


by naturopathic_view

<   2012年 01月 ( 1 )   > この月の画像一覧

今年のお正月、友人のKさんがシドニーに遊びにきてくれた。
彼女は私より30歳年上のお姉さんである。

年が離れている故、一緒に出かけるとよく親子に間違えられるが、自分にとって彼女は、「どの親戚にもひとりいるクールな叔母」的な存在だ。

甘やかしてくれる人というよりむしろ、必要であれば多少痛かろうが客観的な意見をくれる、頼りになる友人である。
彼女の言葉は温もりとユーモアが必ずついてくるから、たまに辛口でも飲み込めるのだ。

さて、日本を離れ一年たつ私に彼女は日本からお土産をたくさん持参してくれた。

焼き海苔、ちりめん山椒、こしあん、おせんべい、サケの瓶詰め、田楽味噌など、トランクのほとんどは私の大好きな日本の食品でぎっしり。

ひとつひとつ説明を聞くのも本当に嬉しく、感謝でいっぱいになった。

さて、楽しい年末年始の7日間が過ぎ、彼女が東京へと帰国したある日、「ちりめん山椒パスタ」でも作ろうかと思い立った。

おいしいちりめんを頬張った瞬間、ふとした思いがこみ上げて鼻の奥のなにかが緩んだ。

お土産をたくさんトランクにつめて久しぶりの再会に胸を躍らせてやってきてくれるって、きっと普通のお母さんてこいう感じなんだろうなと思った瞬間、うわーんとすごく泣けてきたのだ。

母的な人と、実際の母と、両方に対して泣けた。

私の母は、普通のお母さんが娘にするような、情緒的なサポートをいっさいしない人だ。
また、日本から何かを送ってくることはおろか、普段手紙や電話の一本もない。

それでも母は私をとても愛してくれているのだが、昔は、それはほとんど呪いと同じに感じられた。
何しろ、重い。

いわゆる絵に描いたようなわかりやすいお母さんではないが、彼女は彼女なりの良さがもちろんある。

戦前の福島・白河生まれ、7人兄弟姉妹の下から3番目。
青春時代は吉永小百合とオードリー・ヘプバーンを崇めて過ごした。

彼女の母、私の祖母は福島で明治に生まれ、橋田壽賀子の「おしん」を地でゆく人生を送った人だ。

明治の母の多くがそうであったように、一人の子供にゆっくり気や手をかける暇などなかった。
「子育て」できる自由を、みんなが持っているわけじゃなかったのだと思う。

子供は情緒的に自力で大人になりそのまま親になるという野性的なサイクルがあり、家父長制度と男女の社会的役割の明確さも伴って、それはそれで機能した時代だったのだ。

母は祖母の気骨を受け継ぎ、結婚・出産をし、仕事をしながらも教科書通り家庭を築いていった。

でも、戦後「良い子育て」の定義はどんどん変わっていったし、本当のところ母は途方に暮れていたに違いない。
なにしろ自分の価値観が通用しない、戦後民主主義教育を受けるこどもを育てることになったわけだから。

かくして、母が子供に要求する「三従の教え」や「良妻賢母」像は全く娘には伝わらず、彼女の望んだ「賢良な女子」とは真逆の、私という人間が出来上がってしまった。

ところで母は5人姉妹中ただひとりだけ、お見合い結婚で地元の農家に嫁がなかった。
母親と親戚の反対を押し切って中学を出てから上京し、看護師になり、のちに恋愛結婚をした。
「三従の教え」に、あんまり従っていない。

その後子供も二人産み30代半ばの彼女は、徐々にコンサバになっていったものの、実際に結婚・出産の具体的にどこが素晴らしいか子供に教えることはなかった。
むしろ女性として社会的地位をきっちり築ける教育を受けさせたい気持ちが強かったように思う。

子供達には基本的にどうしていいかわからないので、とりあえず何でもダメ出し出していたという気がする(親は間違っているわけがないんだから、子供が悪いに決まっているというめちゃくちゃな論理だ)。

今思うと、現代のコミュニケーションベースの「子育て」は彼女にとっては未経験、理解のある現代の親像を求めてもそれはできない相談だったのだろう。

良妻賢母を押し付けてくる割には、家事も料理も好きじゃないのにしょうがないからやっていたし、心配していると相手に言うことが愛情だと大きな勘違いをしていた頓珍漢な母である。

二人の価値観の違いには、我ながら今だに動揺することもある。
でも、生きる哲学は違えども、本質的に私たちはとてもよく似ている。
というか、やはり親子なのだ。

きまりだから、みんながそうしているから一様に従う、ということが基本的にできない。
自分なりの理由付けがはっきりするまで納得しない。
個人としての独自性を確立してはじめて周りと協調できるタイプで、この順番が変わると人生に閉塞感を覚えてしまう。

それならそれで、認めてしまえばすっきりするのだ。
親だからこそ、その人間的本質を子供にさらす勇気は大切なんじゃないかと思う。
母にとって親の権威は捨てられないものだったとしても。

すべての人間関係の基本は、結局は自分が自分に正直であるかどうか、つまり自分に嘘のない状態であるかどうか、に尽きるのではないだろうか。

嘘は人や自分との間に線を引き、自分も相手も受け入れることのない関係を造り出してしまう。

自分から、あるいは人から受け入れられないという気持ちは、おそらく、ほとんどの心理的外傷の根源なのだと思う。

子供の感性というものは、なぜそうなのかその時はわからなくとも、大人の嘘を見抜く力がある。
(もちろん子供には見抜いた嘘につけ込む狡さもある)

その嘘にまかれるか、あるいは抵抗するかは子供次第だが、親がどういう自分を見せるかによって変わってくる。

そして確実にその後の親子関係に反映してくる。

生き方に対する母の矛盾は誰よりも彼女自身を苛めただろうし、それは今になって「私はいいお母さんじゃなかったかもしれない」という言葉になって現れてきた。(「だからこんな娘になっちゃって、、、」と続くところがミソだ)

昔は理解不能だったけれど、少しずつ彼女が見えてきたように感じることが多くなったのは、私の年齢が彼女が子育てのピークにあった年齢を超えたあたりから。
自分が自分みたいな娘を持っていたとしたら、考えただけでも大変だ。

70代に入っていろいろなことを身体から手放しているように見える母。
自分の思うようにならない娘に対するしがみつきも、少しずつ手放しつつある気がする。

母のいろいろなところを受け入れるようになって、すべての選択は本当の意味で自分の価値観が基準になった。
母の呪縛から自由になるとは、彼女を理解することにほかならなかったのかもしれない。

「いいお母さん」を捨てた母には、もはや嘘がない。
だから受け入れることができる、というのも不思議なんだけど。
[PR]
by naturopathic_view | 2012-01-20 18:26 | Coffee, Tea, or Me