在シドニーのナチュロパス、前田アンヌのブログ です


by naturopathic_view

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さて、カフカも気に入って滞在した、スイスの東南マジョーレ湖アスコナ村の小さな丘、モンテ・ヴェリタ(真実の山)について少し触れておきたい。

なぜかというと、20世紀の初めに自然療法と自然回帰をベースとしたライフリフォームムーヴメントが大きく開花したしたのは、ここアスコナでなのだ。

ライフリフォームlife-reform という表現が使われだしたのは1896年であるが、この考えはその後20世紀の前半までヨーロッパ社会のトレンドを構成したと言える。

それまでのヨーロッパの社会、教育、文化、環境、価値観のあり方を徹底的に問い直し、そのカビ臭い価値観を180度変えたのがライフリフォームであり、その舞台となったのがアスコナ。
1900年から20年間、ここが全ヨーロッパの精神革命の焦点となった。

その中心となった人物達に、文学ではフランツ∙カフカとともにヘルマン⋅ヘッセやD H ローレンス、心理学者カール・ユング、哲学者ルドルフ・シュタイナー、バウハウスのパウルクレー、ダダイストのヒューゴー・バル、モダンダンスのイサドラ・ダンカンなどが挙げられる。

私でも知っている有名人ばかりである。

それにしても、価値観をひっくり返す一大ムーヴメントって、あれ?これはヒッピーみたい?と思った方、多分その読みは正しい。

このライフリフォームの流れを汲んだドイツ人がアメリカ西海岸にその考えを持っていったことが、結果的に60年代のヒッピー文化のひとつのルーツになったからである

ちなみに、サンフランシスコクロニクル誌が1903年にアスコナについての記事を紹介しているが、これはライフリフォームのアイディアとアメリカ西海岸の最初の出会いではないか。

さて、ライフリフォームの主な特徴をあげてみよう:
菜食主義、自然療法、健康食品、反アルコール、反近代化/産業化、農業改革、フェミニズム、動物保護、子供の権利と保護、宗教改革、社会改革、ファッション革命など。

特に、宗教が社会に与える価値観は女性の社会的立場や人間の精神性、個人の権利にまで大きな影響を与えていたから、宗教上の神の存在に対する問いが人々の間にひろまったことは当時おおごとだったはずだ。

ヒッピー発生以前に、すでにヒッピー魂を持った人々がアスコナに集結し、精神分析、ダダイズム、モダンダンス、そして自然療法について熱く語り合っていたというのもすごい。

とにかく、ライフリフォームは今日に続く人間のあり方を根本的に変える大きな波であり、ナチュロパシーが生まれたこの時代は、善くも悪くも世界が大きな転換期を迎える頃だった。

しかし、ナチスの台頭や第一次、二次世界大戦とアスコナ以降のヨーロッパ、特にドイツは暗い時代に突入していく。

これを察知して、1895 から1914年までの間何万人ものドイツ人が故郷や家族を離れ、新しい土地アメリカへ移住していった。

そのなかに、後にナチュロパスの父と呼ばれることになる Dr.ベネディクト⋅ルストの姿があった。

アスコナについての詳しい記述はグリーンの本を参照してください。
すごく面白い本で、お勧め。
マーティン・グリーン『真理の山 アスコーナ対抗文化年代記』 進藤英樹訳 平凡社
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by naturopathic_view | 2008-08-26 15:28 | ナチュロパシーのルーツを探る
オーストラリアのナチュロパス養成校は国内にいくつもありますが、ホメオパシーの有る無しなど、コース内容には各校でばらつきがあります。
これにより卒業時に習得できるディプロマにも若干違いが出てくるかもしれません。

学校選びをする時は、自分の学びたいモダリティを事前によくリサーチすることをお勧めします。
しかし、ナチュロパシーのコアである臨床栄養学とメディカルハーブは必ず教科に含まれているはずです。

ナチュロパスの養成校は3種類あります。
1.プライベートカレッジ
2.大学
3.通信制

現在、卒業時に習得するAdvanced Diploma of Naturopathy(ND) の保持が、ナチュロパスとして活動する前提ですが、学位(BHS)の習得が出来るコースもあります。

現在ナチュロパシーを含む補完代替医療業界では、将来的にみて学位習得をするのが望ましいという風潮になってきています。
オーストラリアのナチュロパスは民間団体によるセルフレギュレーションシステムですが、ナチュロパスの基準の統一と国レベルでの登録システムを確立するように業界が政府に働きかけています。

通信制でのAdvanced Diploma of Naturopathy保持者は、この登録が現実的に来たときに、ナチュロパスのスタンダードに満たないあつかいになるのではないかといわれています。
そういうわけで、今後のことも考えると3の方法は勧められません。

BHSを取るには、コースのある学校に最初から入学する方法のほか、Advanced Diploma of Naturopathyを先に取り、卒業後大学でBHSにアップグレードするやり方とあります。
私は後者を選びました。(こっちのほうが学費が安くすんだので)
現在までAdvanced Diploma of Naturopathy 保持者を対象に、BHSのアップグレードコースを向けているのは、Charles Sturt University と Southern cross Universityの2校です。
これは両方とも通信制で1年から2年かかります。

ホメオパシーをナチュロパシーのコースに入れている学校の場合、基礎を2年やっておしまいですが、もし続けてこのディプロマも取りたいという場合は、パートタイムでディプロマ習得に必要なユニットを続けて取って行けばいいのです。

ホメオパシーがコースになくても、あとで別の学校に行ってホメオパスになると言う手もあります。(私にはそこまでの情熱はありませんでしたが)
コースは4年です。

どのモダリティも、このようにあとから追加習得できますが、自分の持久力と財政状態と相談することが大切だと思います。

それと、一番大事なのは誰が教えてくれるのか、です。
特にメディカルハーブと臨床栄養学に言えますが、各専門分野のプロが臨床経験に基づいた知識をじかに教えてくれることが必要な教科というのが、やはりあるのです。
学校を選ぶとき、オープンデーに行くだけでなく、授業を見に行くとか、講師や在校生と直接チャットすると良いでしょう。

NHAAの事務局にメールしても聞いてもよいと思います。
ここはナチュロパスの登録数圧倒的にが多いのでナチュロパシーの現状をATMSより把握しているからです。

終身雇用というシステムのないオーストラリアでは、良い先生たちは待遇の良い学校にどんどん移動してゆきます。
Advanced Diploma of Naturopathyを取るうえで、私が個人的に、いい先生が集まっていると言えるのは以下の学校です。
*Western Sydney University(NSW)
*Southern Cross University(NSW)
Australian College of Natural Medicine (VIC)
*Southern Schools of Natural Therapies(VIC)
Australian College of Natural Medicine (QLD)

*マークは特に2008年現在評判が良い学校です。

とはいえ、なんといっても個人の勘みたいなものが一番大事だし、大学事務局がものすごく親切で生徒の面倒を良く見てくれ、施設が整っていることなどもカウントして最終決断してください。

以上はこれからナチュロパスを目指すみなさんへ、でした。
あくまで参考としての投稿記事ですが、お役に立てれば嬉しいです。

Good luck!
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by naturopathic_view | 2008-08-21 23:56 | ナチュロパシーのABC

ご隠居R氏との出会い

私のクリニックは住居と同じ敷地内に別に建てられた離れにある。
離れ、というと聞こえは良いが、手を入れる前は一瞬たじろぐような掘っ建て小屋だった。

引っ越してきた当初は、卒業以来ずっと仕事しているし、開業は1年くらい休んで大学院で修士でもとろうと思っていた。

それが、この掘っ建て小屋を見て気が変わった。
8畳くらいのスペースはあるし、水回りもエアコンもついている。
これはオフィス兼クリニックにぴったりではないか!

その後夫が、もともと敷いてあった、じかに触ったらカユくなりそうなカーペットをはがして、上塗りしたテラコッタのタイルを貼ってくれた。
なかはきれいに掃除をし、ペンキを塗って、雨漏りも治した。
インターネットの接続も完了。
クリニックはアースカラーを基調とした、いい感じのスペースに仕上がった。

後はクライアントを待つばかりである。

さて、どのビジネスでもそうだが、ただ待っているだけではクライアントは来ない。
広告を出すとか、いわゆるマーケティングというものが必要なのだ。

私はこのマーケティングというやつが、ものすごく苦手である。
特にヒーリングビジネスというマーケットにおいて、自分を売り込んで行くには、かなり洗練されたテクニックが必要だ。
都会で開業していた頃、これさえなければな、といつも思っていた。

この町みたいな保守的なクイーンズランド州の田舎では、会って話すというダイレクトな接触がないと人の注意を引くことは出来ない。
フレンドリーだが、新参者に対しては注意深く、受け入れられるまで時間がかかる。
(インターネットでもビジネス出来る日本とは、相当事情が違うことがなんとなくわかってもらえますか?)

しかも健康的な食生活やライフスタイルはこの町にはほとんど定着してないし、関心も低い。
だれもナチュロパシーなんて聞いたことがないのだ。

そんなわけで最初の何ヶ月かは、こつこつとしたマーケティングの努力にもかかわらず閑古鳥が鳴いていた。

しかし、やがてひとりふたりとクライアントが増え始め、その年のクリスマスには患者用クリスマスカードをどさっと送るまでになったのである。
私の努力だけでは、もちろんこういうことは起こらない。

すべては、近所のご隠居R氏との出会いによって変わったのだ。

彼との最初の出会いは、商店街の店先で買い物中に言葉を交わしたのがきっかけである。

R氏は70代半ばで、引退するまで町の商店街で花屋を営んでいた。
コロコロとよく笑う世話好きの奥さんLも同じ年齢。
農薬を使わない有機農法の熱烈な支持者であるこのR夫妻は、自然療法も普段から気軽に生活に取り入れる人たちであったのだ。
こんな人たちは正直言ってこの町では非常に少ないのでびっくりである。

当然のことながら、元花屋の彼とは植物の話で一気に盛り上がった。

さて、普段元気で病気ひとつしないR氏であるが、当時手に痛みがしばしばおこり、関節炎と診断されていた。
私がナチュロパスと知った彼は「ちょっと診てくれませんかね」と聞いてきた。

彼のトリートメントは2ヶ月ちょっとで終了したが、この間彼の奥さんLと2人の娘たちはおろか孫たちまで、入れ替わり立ち替わりクリニックにやってきた。

これを機に、ご隠居も含めて家族中が突如私の福の神と化したのである。

ご隠居夫婦は花屋業を通じて商店街のオーナーのほとんど全員と顔見知りなうえ、過去のお得意さんとも未だに親密で、これらの人々に私を宣伝してくれたのである。
「なにかあったらNVのところへ行くといいですよ、老人には特に親切にしてくれましてな」(ご隠居にはシルバー割引をちょっとしてあげたのだ)

ご隠居の孫娘Mはピチピチの二十歳、商店街の美容院で働く美容師である。
彼女も自分の体験談を顧客に宣伝してくれた。
「これがまた、すっごく効いたのよ〜」

今でもご隠居R夫婦とは毎週日曜の朝マーケットで会うし、何かあるとクリニックに来てくれる。

人との出会いで人生は変わる。
やれば出来るという言葉はよく聞くが、他の人たちからの応援があるからこそ、やっていける力が出るのだ。
ご隠居R氏からの助けは大きかったが、もちろん他の大勢のクライアントにも支えられて今の自分のクリニックは成り立っている。

とにかく、おかげさまで閑古鳥はどこかへ飛び去っていった。
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by naturopathic_view | 2008-08-20 10:48 | クリニック
カフカって右から読んでも左から読んでも、カフカ。(そんなことはどうでもいいのだが)

「変身」や「審判」等の作品で有名な作家のフランツ∙カフカ Franz Kafka (1883—1924)であるが、写真で見る限り、絵に描いたように青白い文学青年といった風情である。
やっぱり、と思う人もいるかもしれないが40歳の若さで結核で亡くなった。

カフカといえば言わずもがなの不条理/実存主義文学者であり、彼の作品には心の安らぎや調和、恩寵といったものにはあんまり縁がないが、彼本人はガーデニングをしたり散歩を楽しんだりと自然に親しむのが大好きなナチュラリストであった。

それとともに、あまり知られていないが彼はヴェジタリアン(菜食主義者)だったのである。
肉類の消化がうまく出来ないタイプだったようで、ヴェジタリアンになってからそれまでの頭痛やら食後腹部の不快感やらも解消され、その効果にはおおいに満足したようだ。

そんなわけもあって当時の最先端とされた健康法にも耳ざとく、健康グルの友人(Moriz Schnitzer)とも親しくしていた。
普段チェコのプラハに住む彼の趣味は旅行で、ヨーロッパ各地の保養所に長期滞在しては健康増進にいそしんだ。

カフカが特に気に入って滞在したのはドイツにあったアドルフ⋅ジュストのジュングボーン∙リトリートである。

このほかスイスのアスコナ村にもしばし訪れたカフカであるが、この小さくて美しい村には、実は当時のヨーロッパの頭脳が結集し一大コロニーを作っていたのだ。
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by naturopathic_view | 2008-08-18 21:48 | ナチュロパシーのルーツを探る
さて、1883年に出版されたルイス⋅クーンの著書 "The New Science Of Healing" はドイツ国内のみならず、海外のナチュラリストにも大きな影響を与えた一冊であることを先に述べた。

この本の出版から13年後、西ヨーロッパの健康ブームにさらに火をつけた人物がいた。
アドルフ⋅ジュスト Adolf Justである。

1896年に出版されたジュストの "Return To Nature" がこれまでの健康本と決定的に違っていたのは、社会のあり方や経済が個人の健康に与える影響についてまでも言及している点である。
水質汚染などの環境問題から一般の教育システム、動物実験、ワクチン注射の賛否までディスカッションしているのだ。
そのうえ、肉食中心の食生活、コーヒー、アルコール、タバコにおける害をもきっちり説いている。

西ヨーロッパにおける工業化は18世紀頃から発展していったから、この本が出版された当時、社会の近代化における影響がよくも悪くも人々に解り始めた頃だったはずだ。
そういう意味で、非常にタイムリーな本の出現であった。

ジュストは本の出版と同じ年に 、ジュングボーン∙リトリートJungborn retreat という休養施設をドイツのアイゼンバーグの近くの山の中に設立している。
この施設は自然の中で身体的精神的な真の健康を取り戻す、また、自然にかえり人として本来の自分に戻ることのできる場所を提供することを目的として建てられた。

かのマハトマ⋅ガンジーはジュストの施設をモデルにしてネイチャーキュアサニタリウムNature Cure sanitarium を1944年にインド(Urlikanchan村)開いている。
彼はドイツのナチュロパスに大きな影響を受け、ナチュロパシーをインドで広めようとした人であるが、当時これはあまり成功しなかったようだ。
(まあインドには古代から使われている素晴らしいアーユルヴェーダ医学がすでにあったわけだし。代わりにホメオパシーは大変普及するようになったが。)

後に、ジュストの本はベネディクト⋅ルストによって英訳がアメリカで出版されるが、これはPDFで全文閲覧可能である。
この人一体どういう人だったんだろう、と思わせるほど詩的な文章を書く。
驚くほど率直で、辛口のコメントもすぱすぱっとシャープである。

閲覧してみたい方はこちらのサイトでどうぞ。


Joseph S. Alter, “Gandhi's Body: Sex, Diet, and the Politics of Nationalism”,University of Pennsylvania Press, 2000
ガンジーがナチュロパシーに傾倒していった過程や、何が彼の思想とナチュロパシーを繋いだのかなど、この本を読むとよくわかる。
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by naturopathic_view | 2008-08-16 20:47 | ナチュロパシーのルーツを探る
ナチュロパシーのルーツ(3)の追記で触れたサミュエル∙ハーネマンだが、同時代のフーフェラントとは親交があったようだ。
フーフェラントはホメオパシーを新しい医療の体系として高く評価し、ハーネマンの執筆したものを出版する後押しもしたらしい。
この人は当時の医学界ではスーパーセレブドクターで、彼の著作“マクロバイオティック”はベストセラー、時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世のおかかえ医師もつとめている。
1863年に出版された彼の自叙伝でも「医師はその言葉の本来の意味において庶民の一人である」とあるあたり、その人柄が伺える。

まるで日野原重明先生のようでは!?

ところで、英文ですがホメオパシーと免疫学についての面白いジャーナルを見つけたので、時間のある方是非どうぞ。
このサイトからPDFファイルで全文をダウンロードできます。
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=1297514


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by naturopathic_view | 2008-08-13 16:51 | ナチュロパシーのルーツを探る
中世のヌーディズム以降の、ドイツにおける自然主義/自然療法提唱者たちの軌跡を簡単に追ってみよう。

1796年、 クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント Christoph Wilhelm Hufeland という医師 が "The Art Of Prolonging Life"という本の中で‘マクロバイオティック’という言葉を使い始めている。
この本では、マクロビオティックは長寿法という意味合いで使われていた。
彼は、運動、新鮮な空気、日光浴、衛生、食事療法、瞑想を強く提唱し、これは当時の医学からすると、かなり違う方向へ進んだ考えだったらしい。

1860年代以降はナチュラリストが続々登場、自然回帰や自然賛美についての本が続々と出版された。

出版された年がはっきりしないのだが、1860年代にエデゥアルド・バルツァー Eduard Baltzer という人が "natural life style"(独:naturliche lebensweise)とい4巻本を出版している。
この人はヴェジタリアンの父といってもよいだろう。
単に自分が菜食するだけでなく、これを主義として広めようと尽くした人である。
しかも“自由な宗教の共同体”Free Religious Community という団体を結成、彼の菜食主義はその自由な精神性を反映したものであった。
ちなみにこの人はプロテスタントを止めてこの道に走ったそうで、国の大臣も務めた政治家だったらしい。

1866年、 哲学者/生物学者エルンスト・ヘッケル Ernst Haeckel が彼の著書で初めて"ecology",という言葉を使う。
彼は、こころとからだの相互関係とその病理を医学レヴェルで考えた人でもある。
哲学者でもあった彼の言うところのエコロジーは、それぞれの生命が調和を持ってひとつの生態系を生むというホリスティックさを持ち、現在使われているいわゆるエコロジー(生態系)よりも、むしろ仏教に通じるコンセプトであるとも言われている。

さて、後にナチュロパシーとなる土台を作った本"The New Science Of Healing"がルイス⋅クーン Louis Kuhne によって出版されたのは1883年。
この本は50カ国語に翻訳され、当時のナチュラリストに強烈なインスピレーションを与えた。
なんとあのマハトマ⋅ガンジー Mahatma Gandhi もこの本を読んでいたくらいインドで評判だったらしい。

ちなみに上記の出版物は今でも再版されて、ドイツ語版も英訳版もアマゾンなどで購入可能。フーフェラントをはじめ日本語訳が出ているものもあるので、興味のある方は探してみてください。


※追記1:サミュエル・ハーネマンがホメオパシーで治療を開始し、医療の体系として作り上げたのはだいたい1790年代から、オルガノンとホメオパシックマテリアメディカの出版は1810年代である。
その後ホメオパシーは独自に発展を遂げて行くが、後にベネディクト・ルストはナチュロパシーのモダリティのひとつとしてホメオパシーを治療に使った。
ホメオパシーの発展過程については、他に詳しいサイトも数多くあるのでここでは突っ込まない。
ホメオパシーだけで別のブログを作らないといけないくらい情報量が多いし、なんとも奥深い世界なのだ。
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by naturopathic_view | 2008-08-12 18:21 | ナチュロパシーのルーツを探る
オーストラリアにはヌーディストビーチが数多くある (こういう情報は勿論ガイドブックには載っていない)。
ヌーディストキャンプ(裸で一緒に暮らすコミュニティ)も数は少ないが、ある。

裸でいるというのは気持ちがいいものだ。
裸一貫、裸の付き合い、とか、こういう表現はもう失うものも何もないという潔さが見えまいか。
裸体が人間としての自然の姿であるのは間違いないので、本来の自分自身に戻るため裸で暮らすという考えは、見当違いではない。

さて、このヌードな暮らしを哲学的なレヴェルに持っていった人々がいた。

“Brothers and Sisters of the Free Spirit” は、中世のドイツに存在したあるヌーディスト集団である。
純粋無垢な楽園の再現を目的として、子宮に見立てた洞窟にヌードで大勢の人が集まり瞑想したそうである。

以後、ヌーディズムはある意味で、澄んだスピリチュアリティを保ち自然に暮らしたい多くの人たちの支持を得て現在に至る。
おそらく、最も古く原始的ではあるが、非常に深い健康法のひとつではないだろうか?
心と感情を開放するのに、裸でいることは実際効果がある。
隠すものが何もないというのは、よく考えるとすごいことである。

私はどちらかというと、どうせ裸になるなら銭湯とか温泉とか、暖かいお湯につかりたい方なのだが、、、。
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by naturopathic_view | 2008-08-11 20:43 | ナチュロパシーのルーツを探る
以前に「自然療法士ナチュロパスとは?」のなかで書いたように、20世紀の初めにナチュロパスの養成校をNYで開き、ナチュロパシーという言葉をアメリカで定着させたのはドイツ人ベネディクト・ルストである。

では、彼がアメリカに渡ってナチュロパシーを広めるに至った背景、つまり19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ特にルストの生まれ故郷ドイツ近辺では何が起こっていたのか?

実は、自然主義ムーヴメントが西ヨーロッパで大流行していた頃だったのだ。

これに先駆けて18世紀から、モダンプリミティヴズ、ワンダーフォーゲル(独:Wandervogel、日本の山岳部、ワンゲルの語源になりました)、ボヘミアニズム、ヴァガヴォンドなど自然主義から派生したサブカルチャーがすでにいくつも生まれており、素地はしっかりと出来上がっていた。

これらを含む自然主義の根底に共通するのは何か?

全てがオーソドックスとは対局にある、ということである。

当時のオーソドックスとは、キリスト教ベースの政府(しかも戦争に走りがちな)や社会、価値観、きまり、習慣、伝統もろもろである。
本来の自然な人間性よりも、この社会全体を動かしていくのに都合がいいように、社会が人に押し付ける価値観の方が大事にされる。

ああこんな社会からすぱっと抜けて自然にかえりたい、と思う人々が増えるのも無理もない。

さて、ドイツにはこんな考え方をする人も、その考えを実行に移す人も、他のヨーロッパ人たちに比べて断然多かった。
これがなぜかというと、話を古代ドイツに遡らなくてはならない。

古代のドイツ(インドジャーマン)はラテン文化への服従が他のヨーロッパの国々よりも遅かったのだが、これは結果的に後のペイガニズム(キリスト教に対する異教徒という意味)に繋がっていったという歴史がある。

インドジャーマンの人々にとっての宗教とは、自然や地球の持つ美しさ、恐ろしさ、恐れ、不思議などのすべてを合わせたものであった。
自然な人間とは美徳と悪を併せ持つもの、それに男も女も違いは無い。
あるがままの人間自体を賞賛し、自然を愛し感謝する。
子宮を持ち子供を創造することの出来る女性の能力は、特に賛美の対象となった。

さて、このような考えは当然のことながらキリスト教とは折り合いが悪く、その後異教徒(ペイガン)呼ばわりされ弾圧を受けるようになるが、死に絶えることは無かった。

これはマイスター・エックハルト(Meister Eckhart,およそ1260年 - 1328年)という中世ドイツのキリスト教神学者/神秘主義者の記述によっても伺える。
彼によると、神秘主義の発達はローマ正教に対する反発精神を持つTeutonic Indo-Europeanの反乱を表しているという。

反発精神の旺盛な土台はここにあったのだ。
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by naturopathic_view | 2008-08-10 11:36 | ナチュロパシーのルーツを探る

NHAA 2008 Seminar Report (4)

ナチュラルフェティリティに何故ディトックスが必要なのか、という質問があったので簡単に説明を加えておきます。

これはなぜかというと、懐妊前と妊娠中にどれだけ毒素にさらされているかによって、出産後赤ちゃんの免疫と神経システムの健康に影響が出るからです。

どれだけ影響が出るかには勿論個人差がありますが、近年多く指摘され研究で明らかになりつつあるのがアレルギーを含む自己免疫性疾患です。
ADDなどの行動障害も見逃せません。

そういう訳で、ディトックスはナチュラルフェティリティには非常に大切なプロセスなのです。

ちなみに前の投稿で、Leahはクライアントを完全オーガニック食に変えるように勧めていると書きましたが、もっと言うとラップを含む全てのプラスチックと電子レンジの使用を生活から排除しています。

私個人としては、勿論毒性にさらされることの無い懐妊期間は重要ですが、ストレスの無いハッピーな懐妊期間が一番大事だと思います。
あんまり気にしすぎても、それがストレスになるようでは困っちゃいますからね。
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by naturopathic_view | 2008-08-08 11:57 | クリニック