在シドニーのナチュロパス、前田アンヌのブログ です


by naturopathic_view

カテゴリ:ナチュロパシーのルーツを探る( 8 )

前回の投稿で触れた、入浴剤クナイプについて、もうちょっと深く突っ込んで行こう。(最初に断っておくが、私はクナイプ社の回し者という訳ではないんです、商品は愛用しているけれど。)

浴用剤クナイプの創始者のひとり、セバスチアン⋅クナイプはバイエルン州の神父さんだったのが、水療法の第一人者としてその名前が知れ渡り、最終的には自然療法ムーヴメント創始者の1人と言われるようになった人である。

現在の折衷的なナチュロパシーのかたちは、彼が提唱した‘全体を治癒する主要五原則’というコンセプトから派生していると言い切っても間違いないだろう。

ちなみにこの5原則とは:
1.水療法
2.薬草療法
3.運動療法
4.食事療法
5.サイコロジカル・バランス、健康な心と身体を保つことの重要性

これを見ると、ナチュロパシーの現在の形にかなり近い。

1892年にベネディクト・ルストが結核らしき病を患ってアメリカからドイツに帰国した際、クナイプ神父による自然療法を施され健康を回復し、これがきっかけで本人が自然療法の世界にどんどんはまっていった、というのは有名な話である。

ルストが1986年に再びアメリカに渡航した頃には、彼はクナイプ神父の提唱する自然療法を普及する広報役になっていたから、完全にはまったわけである。

クナイプ神父が亡くなって100年以上も経つが、彼の水療法は現在でもドイツのクナイプ・スパで医師によって治療に利用されており、特に免疫システムを強化し病を防ぐ効果が認められている。

また、The International Kneipp Associationという団体は(個人開業の医師たちによって構成されている)ドイツを中心にヨーロッパで16万人の会員を持ち、クナイプ式の水療法を治療に使っているそうだ。

現在のテクニックはクナイプ神父のオリジナルよりも、少し発展していているらしい。アプローチも病気の治療よりも予防の側面が強いようだ。
基本は、日本のお風呂みたいにただ熱いお湯にずっとつかるというのではなくて、冷水と温水を交互につかるのだという。

これをドイツで実際やった友達がいるのだが、彼女は冷水のみの療法をトライした。
この冷水がちょっとひやっとするなんてものではなく、「つ!め!たー!!!」ぐらいの勢いでほとんど痛みを通り越し感覚がなくなるぐらいの冷水だったとか。
ところがその後水からあがって、足が信じられないくらい暖まってきた。
冬だというのにその日一日足だけはぽかぽかだったらしい。

さて、この神父さんはクナイプブレッドという全粒穀物パンでも有名である。
が、正確に言うと、パンに関してはどういうわけかノルウェイでだけ有名である。
多分すごく身体にいいパンなんだろうけれど、味としての評価はまっぷたつに別れるそうだ。

でも、ちょっと食べてみたいかも!?


追記(21/11/08)
クナイプ神父の水療法について、環境ジャーナリストの村上敦氏による素晴らしい記事を発見したので、ぜひこちらまでアクセスしてみてください。
奥深いクナイプ水療法のもっと奥深い世界がわかります。
私が検索した英語と日本語の解説の中で一番詳しかったです。

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by naturopathic_view | 2008-11-11 22:45 | ナチュロパシーのルーツを探る
さて、カフカも気に入って滞在した、スイスの東南マジョーレ湖アスコナ村の小さな丘、モンテ・ヴェリタ(真実の山)について少し触れておきたい。

なぜかというと、20世紀の初めに自然療法と自然回帰をベースとしたライフリフォームムーヴメントが大きく開花したしたのは、ここアスコナでなのだ。

ライフリフォームlife-reform という表現が使われだしたのは1896年であるが、この考えはその後20世紀の前半までヨーロッパ社会のトレンドを構成したと言える。

それまでのヨーロッパの社会、教育、文化、環境、価値観のあり方を徹底的に問い直し、そのカビ臭い価値観を180度変えたのがライフリフォームであり、その舞台となったのがアスコナ。
1900年から20年間、ここが全ヨーロッパの精神革命の焦点となった。

その中心となった人物達に、文学ではフランツ∙カフカとともにヘルマン⋅ヘッセやD H ローレンス、心理学者カール・ユング、哲学者ルドルフ・シュタイナー、バウハウスのパウルクレー、ダダイストのヒューゴー・バル、モダンダンスのイサドラ・ダンカンなどが挙げられる。

私でも知っている有名人ばかりである。

それにしても、価値観をひっくり返す一大ムーヴメントって、あれ?これはヒッピーみたい?と思った方、多分その読みは正しい。

このライフリフォームの流れを汲んだドイツ人がアメリカ西海岸にその考えを持っていったことが、結果的に60年代のヒッピー文化のひとつのルーツになったからである

ちなみに、サンフランシスコクロニクル誌が1903年にアスコナについての記事を紹介しているが、これはライフリフォームのアイディアとアメリカ西海岸の最初の出会いではないか。

さて、ライフリフォームの主な特徴をあげてみよう:
菜食主義、自然療法、健康食品、反アルコール、反近代化/産業化、農業改革、フェミニズム、動物保護、子供の権利と保護、宗教改革、社会改革、ファッション革命など。

特に、宗教が社会に与える価値観は女性の社会的立場や人間の精神性、個人の権利にまで大きな影響を与えていたから、宗教上の神の存在に対する問いが人々の間にひろまったことは当時おおごとだったはずだ。

ヒッピー発生以前に、すでにヒッピー魂を持った人々がアスコナに集結し、精神分析、ダダイズム、モダンダンス、そして自然療法について熱く語り合っていたというのもすごい。

とにかく、ライフリフォームは今日に続く人間のあり方を根本的に変える大きな波であり、ナチュロパシーが生まれたこの時代は、善くも悪くも世界が大きな転換期を迎える頃だった。

しかし、ナチスの台頭や第一次、二次世界大戦とアスコナ以降のヨーロッパ、特にドイツは暗い時代に突入していく。

これを察知して、1895 から1914年までの間何万人ものドイツ人が故郷や家族を離れ、新しい土地アメリカへ移住していった。

そのなかに、後にナチュロパスの父と呼ばれることになる Dr.ベネディクト⋅ルストの姿があった。

アスコナについての詳しい記述はグリーンの本を参照してください。
すごく面白い本で、お勧め。
マーティン・グリーン『真理の山 アスコーナ対抗文化年代記』 進藤英樹訳 平凡社
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by naturopathic_view | 2008-08-26 15:28 | ナチュロパシーのルーツを探る
カフカって右から読んでも左から読んでも、カフカ。(そんなことはどうでもいいのだが)

「変身」や「審判」等の作品で有名な作家のフランツ∙カフカ Franz Kafka (1883—1924)であるが、写真で見る限り、絵に描いたように青白い文学青年といった風情である。
やっぱり、と思う人もいるかもしれないが40歳の若さで結核で亡くなった。

カフカといえば言わずもがなの不条理/実存主義文学者であり、彼の作品には心の安らぎや調和、恩寵といったものにはあんまり縁がないが、彼本人はガーデニングをしたり散歩を楽しんだりと自然に親しむのが大好きなナチュラリストであった。

それとともに、あまり知られていないが彼はヴェジタリアン(菜食主義者)だったのである。
肉類の消化がうまく出来ないタイプだったようで、ヴェジタリアンになってからそれまでの頭痛やら食後腹部の不快感やらも解消され、その効果にはおおいに満足したようだ。

そんなわけもあって当時の最先端とされた健康法にも耳ざとく、健康グルの友人(Moriz Schnitzer)とも親しくしていた。
普段チェコのプラハに住む彼の趣味は旅行で、ヨーロッパ各地の保養所に長期滞在しては健康増進にいそしんだ。

カフカが特に気に入って滞在したのはドイツにあったアドルフ⋅ジュストのジュングボーン∙リトリートである。

このほかスイスのアスコナ村にもしばし訪れたカフカであるが、この小さくて美しい村には、実は当時のヨーロッパの頭脳が結集し一大コロニーを作っていたのだ。
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by naturopathic_view | 2008-08-18 21:48 | ナチュロパシーのルーツを探る
さて、1883年に出版されたルイス⋅クーンの著書 "The New Science Of Healing" はドイツ国内のみならず、海外のナチュラリストにも大きな影響を与えた一冊であることを先に述べた。

この本の出版から13年後、西ヨーロッパの健康ブームにさらに火をつけた人物がいた。
アドルフ⋅ジュスト Adolf Justである。

1896年に出版されたジュストの "Return To Nature" がこれまでの健康本と決定的に違っていたのは、社会のあり方や経済が個人の健康に与える影響についてまでも言及している点である。
水質汚染などの環境問題から一般の教育システム、動物実験、ワクチン注射の賛否までディスカッションしているのだ。
そのうえ、肉食中心の食生活、コーヒー、アルコール、タバコにおける害をもきっちり説いている。

西ヨーロッパにおける工業化は18世紀頃から発展していったから、この本が出版された当時、社会の近代化における影響がよくも悪くも人々に解り始めた頃だったはずだ。
そういう意味で、非常にタイムリーな本の出現であった。

ジュストは本の出版と同じ年に 、ジュングボーン∙リトリートJungborn retreat という休養施設をドイツのアイゼンバーグの近くの山の中に設立している。
この施設は自然の中で身体的精神的な真の健康を取り戻す、また、自然にかえり人として本来の自分に戻ることのできる場所を提供することを目的として建てられた。

かのマハトマ⋅ガンジーはジュストの施設をモデルにしてネイチャーキュアサニタリウムNature Cure sanitarium を1944年にインド(Urlikanchan村)開いている。
彼はドイツのナチュロパスに大きな影響を受け、ナチュロパシーをインドで広めようとした人であるが、当時これはあまり成功しなかったようだ。
(まあインドには古代から使われている素晴らしいアーユルヴェーダ医学がすでにあったわけだし。代わりにホメオパシーは大変普及するようになったが。)

後に、ジュストの本はベネディクト⋅ルストによって英訳がアメリカで出版されるが、これはPDFで全文閲覧可能である。
この人一体どういう人だったんだろう、と思わせるほど詩的な文章を書く。
驚くほど率直で、辛口のコメントもすぱすぱっとシャープである。

閲覧してみたい方はこちらのサイトでどうぞ。


Joseph S. Alter, “Gandhi's Body: Sex, Diet, and the Politics of Nationalism”,University of Pennsylvania Press, 2000
ガンジーがナチュロパシーに傾倒していった過程や、何が彼の思想とナチュロパシーを繋いだのかなど、この本を読むとよくわかる。
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by naturopathic_view | 2008-08-16 20:47 | ナチュロパシーのルーツを探る
ナチュロパシーのルーツ(3)の追記で触れたサミュエル∙ハーネマンだが、同時代のフーフェラントとは親交があったようだ。
フーフェラントはホメオパシーを新しい医療の体系として高く評価し、ハーネマンの執筆したものを出版する後押しもしたらしい。
この人は当時の医学界ではスーパーセレブドクターで、彼の著作“マクロバイオティック”はベストセラー、時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世のおかかえ医師もつとめている。
1863年に出版された彼の自叙伝でも「医師はその言葉の本来の意味において庶民の一人である」とあるあたり、その人柄が伺える。

まるで日野原重明先生のようでは!?

ところで、英文ですがホメオパシーと免疫学についての面白いジャーナルを見つけたので、時間のある方是非どうぞ。
このサイトからPDFファイルで全文をダウンロードできます。
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=1297514


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by naturopathic_view | 2008-08-13 16:51 | ナチュロパシーのルーツを探る
中世のヌーディズム以降の、ドイツにおける自然主義/自然療法提唱者たちの軌跡を簡単に追ってみよう。

1796年、 クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント Christoph Wilhelm Hufeland という医師 が "The Art Of Prolonging Life"という本の中で‘マクロバイオティック’という言葉を使い始めている。
この本では、マクロビオティックは長寿法という意味合いで使われていた。
彼は、運動、新鮮な空気、日光浴、衛生、食事療法、瞑想を強く提唱し、これは当時の医学からすると、かなり違う方向へ進んだ考えだったらしい。

1860年代以降はナチュラリストが続々登場、自然回帰や自然賛美についての本が続々と出版された。

出版された年がはっきりしないのだが、1860年代にエデゥアルド・バルツァー Eduard Baltzer という人が "natural life style"(独:naturliche lebensweise)とい4巻本を出版している。
この人はヴェジタリアンの父といってもよいだろう。
単に自分が菜食するだけでなく、これを主義として広めようと尽くした人である。
しかも“自由な宗教の共同体”Free Religious Community という団体を結成、彼の菜食主義はその自由な精神性を反映したものであった。
ちなみにこの人はプロテスタントを止めてこの道に走ったそうで、国の大臣も務めた政治家だったらしい。

1866年、 哲学者/生物学者エルンスト・ヘッケル Ernst Haeckel が彼の著書で初めて"ecology",という言葉を使う。
彼は、こころとからだの相互関係とその病理を医学レヴェルで考えた人でもある。
哲学者でもあった彼の言うところのエコロジーは、それぞれの生命が調和を持ってひとつの生態系を生むというホリスティックさを持ち、現在使われているいわゆるエコロジー(生態系)よりも、むしろ仏教に通じるコンセプトであるとも言われている。

さて、後にナチュロパシーとなる土台を作った本"The New Science Of Healing"がルイス⋅クーン Louis Kuhne によって出版されたのは1883年。
この本は50カ国語に翻訳され、当時のナチュラリストに強烈なインスピレーションを与えた。
なんとあのマハトマ⋅ガンジー Mahatma Gandhi もこの本を読んでいたくらいインドで評判だったらしい。

ちなみに上記の出版物は今でも再版されて、ドイツ語版も英訳版もアマゾンなどで購入可能。フーフェラントをはじめ日本語訳が出ているものもあるので、興味のある方は探してみてください。


※追記1:サミュエル・ハーネマンがホメオパシーで治療を開始し、医療の体系として作り上げたのはだいたい1790年代から、オルガノンとホメオパシックマテリアメディカの出版は1810年代である。
その後ホメオパシーは独自に発展を遂げて行くが、後にベネディクト・ルストはナチュロパシーのモダリティのひとつとしてホメオパシーを治療に使った。
ホメオパシーの発展過程については、他に詳しいサイトも数多くあるのでここでは突っ込まない。
ホメオパシーだけで別のブログを作らないといけないくらい情報量が多いし、なんとも奥深い世界なのだ。
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by naturopathic_view | 2008-08-12 18:21 | ナチュロパシーのルーツを探る
オーストラリアにはヌーディストビーチが数多くある (こういう情報は勿論ガイドブックには載っていない)。
ヌーディストキャンプ(裸で一緒に暮らすコミュニティ)も数は少ないが、ある。

裸でいるというのは気持ちがいいものだ。
裸一貫、裸の付き合い、とか、こういう表現はもう失うものも何もないという潔さが見えまいか。
裸体が人間としての自然の姿であるのは間違いないので、本来の自分自身に戻るため裸で暮らすという考えは、見当違いではない。

さて、このヌードな暮らしを哲学的なレヴェルに持っていった人々がいた。

“Brothers and Sisters of the Free Spirit” は、中世のドイツに存在したあるヌーディスト集団である。
純粋無垢な楽園の再現を目的として、子宮に見立てた洞窟にヌードで大勢の人が集まり瞑想したそうである。

以後、ヌーディズムはある意味で、澄んだスピリチュアリティを保ち自然に暮らしたい多くの人たちの支持を得て現在に至る。
おそらく、最も古く原始的ではあるが、非常に深い健康法のひとつではないだろうか?
心と感情を開放するのに、裸でいることは実際効果がある。
隠すものが何もないというのは、よく考えるとすごいことである。

私はどちらかというと、どうせ裸になるなら銭湯とか温泉とか、暖かいお湯につかりたい方なのだが、、、。
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by naturopathic_view | 2008-08-11 20:43 | ナチュロパシーのルーツを探る
以前に「自然療法士ナチュロパスとは?」のなかで書いたように、20世紀の初めにナチュロパスの養成校をNYで開き、ナチュロパシーという言葉をアメリカで定着させたのはドイツ人ベネディクト・ルストである。

では、彼がアメリカに渡ってナチュロパシーを広めるに至った背景、つまり19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ特にルストの生まれ故郷ドイツ近辺では何が起こっていたのか?

実は、自然主義ムーヴメントが西ヨーロッパで大流行していた頃だったのだ。

これに先駆けて18世紀から、モダンプリミティヴズ、ワンダーフォーゲル(独:Wandervogel、日本の山岳部、ワンゲルの語源になりました)、ボヘミアニズム、ヴァガヴォンドなど自然主義から派生したサブカルチャーがすでにいくつも生まれており、素地はしっかりと出来上がっていた。

これらを含む自然主義の根底に共通するのは何か?

全てがオーソドックスとは対局にある、ということである。

当時のオーソドックスとは、キリスト教ベースの政府(しかも戦争に走りがちな)や社会、価値観、きまり、習慣、伝統もろもろである。
本来の自然な人間性よりも、この社会全体を動かしていくのに都合がいいように、社会が人に押し付ける価値観の方が大事にされる。

ああこんな社会からすぱっと抜けて自然にかえりたい、と思う人々が増えるのも無理もない。

さて、ドイツにはこんな考え方をする人も、その考えを実行に移す人も、他のヨーロッパ人たちに比べて断然多かった。
これがなぜかというと、話を古代ドイツに遡らなくてはならない。

古代のドイツ(インドジャーマン)はラテン文化への服従が他のヨーロッパの国々よりも遅かったのだが、これは結果的に後のペイガニズム(キリスト教に対する異教徒という意味)に繋がっていったという歴史がある。

インドジャーマンの人々にとっての宗教とは、自然や地球の持つ美しさ、恐ろしさ、恐れ、不思議などのすべてを合わせたものであった。
自然な人間とは美徳と悪を併せ持つもの、それに男も女も違いは無い。
あるがままの人間自体を賞賛し、自然を愛し感謝する。
子宮を持ち子供を創造することの出来る女性の能力は、特に賛美の対象となった。

さて、このような考えは当然のことながらキリスト教とは折り合いが悪く、その後異教徒(ペイガン)呼ばわりされ弾圧を受けるようになるが、死に絶えることは無かった。

これはマイスター・エックハルト(Meister Eckhart,およそ1260年 - 1328年)という中世ドイツのキリスト教神学者/神秘主義者の記述によっても伺える。
彼によると、神秘主義の発達はローマ正教に対する反発精神を持つTeutonic Indo-Europeanの反乱を表しているという。

反発精神の旺盛な土台はここにあったのだ。
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by naturopathic_view | 2008-08-10 11:36 | ナチュロパシーのルーツを探る